女性に愛され伝えられてきた踊り

世界でもっとも古い踊りといわれているベリーダンスは、中東を中心に踊られているものですが、実はその歴史ははっきりしていません。紀元前のシュメール王朝や古代エジプト・古代ペルシアといった文明の絵画や古代ギリシャの彫刻に見られる踊り子の姿が原型ではないかと言う人もいれば、砂漠の民がステップしにくい砂の大地をしっかりと踏みしめ、腰から上を震わせて踊ったのがはじまりだと言う人もいます。

踊りに込められた意味についても、「豊穣祈願」や「女神信仰」、「婚礼」や「出産」の準備など諸説あります。

西暦610年にアラビア半島で生まれたイスラームは中東全域に広まっていきました。このことは、ベリーダンスにとっても大きな意味を持ちます。純潔を重んじる教えに基づき、親族以外の男性から女性を隔離するため、女部屋(ハレム)や顔をベールで覆う制度が発達しました。そんな中、人前で踊りを踊るなどということは、慎まれるようになっていったのです。とろが、そのような社会でも、ベリーダンスは多くの女性に愛され続けられていたのです。女性だけのパーティーや、親しい人々が集う結婚式などの席で楽しまれ、受け継がれていきます。

ところで、この「ベリーダンス」という名称ですが、この時代からベリーダンスと呼ばれていたわけではないことを、念のために付け加えておきます。ベリーダンスとはその後アメリカ人によって命名された言葉で、中東では、ラクス・シャルキィとか、バラディなどと呼ばれ、今でもこれらの名称は使われています。


ジプシーとともに北インドから中東、東ヨーロッパ

さて、10世紀ごろ、踊りや音楽を生業としていた「ジプシー(ロマ)」たちが、インド北部より西方へ移動していきました。その各地で、土地ごとの民族の踊りをミックスし、移動しながら次の土地へと伝えベリーダンスを広めていったといわれています。

さらに、1453年にビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルが陥落し、広大なオスマン帝国が築かれます。帝国の支配者スルタンが住む王宮の奥には、一夫多妻制のグランド・ハレムが誕生し、スルタンただ一人に仕えるために各国から美しい娘たちが奴隷として集められました。彼女たちは、宮廷で作法・詩・歌、そして踊りを教育されましたが、ベリーダンスもその一つであろうと考えられています。スルタンのために世界中から踊り子が招かれ、グランド・ハレムの娘たちもその踊り子たちから直接踊りを学んだといわれているのです。グランド・ハレムの歴史は約4世紀にわたり、最盛時は2000人が暮らしたとか。さまざまな女性が生き、愛し、美を競い合ううち、ベリーダンスは彼女たちの魅力を訴える手段として発達していったのではないでしょうか。


アメリカで開花し世界に広まった現代ベリーダンス

1893年、アメリカのシカゴで開かれたコロンビア世界博覧会でベリーダンスが踊られ、大変注目を集めました。このときに「ベリーダンス」と名付けられました。腹部(英語で「ベリー」)の動きが珍しく特徴的だったからだそうです。

その後ベリーダンスは、ハリウッド映画やアメリカで流行したナイトクラブにも、神秘的でセクシーなオリエントの踊りとして登場。この時期に、ダンサーの動きや身体のラインを強調するために、ブラとベルトのセパレートタイプの衣装が用いられるようになったのです。

それは逆にエジプトにも影響を与えました。1926年カイロにできた観光客向けのナイトクラブでは、欧米風の衣装・踊り方と伝統的な踊りを融合させた豪華なキャバレー・レビューが上演されています。